2014年07月18日

雪舟

雪舟(1420〜1506):画聖禅僧

2014年07月18日

雪舟.jpg

1420年備中の国(岡山県)の西の方の三須村の赤浜岡山県総社市で生まれたと云われています。家の名は{小田}と云いましたが、10歳未満の頃に{井山の宝福寺に預けられました

宝福寺.jpg

雪舟(1420〜1506)}は、小さい頃から絵を描くことがとても上手でした}、そして{天章周文}という{大変素晴らしい絵の先生}がいるという{京都の相国寺(しょうこくじ)】}で、{春林周藤禅師の弟子にして頂き、{(とう)(よう)}という名前を貰いました。

臨済宗相国寺.jpg

{雪舟}には、早くから{天章周文の弟子}になっていた{室町幕府に仕えていた士の【小栗宗湛(おぐりそうたん)】}というまたとない{競争相手(ライバル)}がありました。

{天章周文}も{春林周藤禅師}も亡くなり、{相国寺}も{季瓊(きけい)禅師}が切り回すようになって{将軍義政の政治相談相手}となったこともあり、1454年34歳頃に{大内教弘からの招きを受け入れに出ることにし、周防(すおう)(山口県の城下へたどり着き、周防の町外れの雲谷という所に小さな庵雲谷(うんこく)(あん))}を周防の殿様に作ってもらって、そこに住むことになり、そこへは日本中からを教えてもらう人が集まって来るようになりました。

雲谷庵(復元).jpg

そしてその後{建仁寺の清(しょう)(けい)}に従って{大内家の使いの僧}として{雪舟}も応仁元年(1467年)47歳遣明船で中国)}へ行くことになりました。そして{中国の寧波(にんぼう)}という港の沖に着きました。そして{寧波(にんぼう)}に上陸すると{桂菴(けいあん)}と共に{寧波(にんぼう)}の東の大白山の麓にある{天童山(てんどうざん)景徳禅寺}をさっそく訪ねました。{五山の第一}と云われるだけあって{天童山(てんどうざん)景徳禅寺}は{美しい山や川}に囲まれた{大きな寺}で{中国中から大勢の僧侶が修行に集まっていました}。そして{雪舟}は{天童山(てんどうざん)景徳禅寺}で一所懸命に修行を続けて、わずかの間に(し)明天童(めいてんどう)第一座(だいいちざ)}という一番優れた地位を貰いました

寧波の天童寺.jpg

{1年ほど遅れて【清(しょう)啓(けい)和尚】達の舟が着いた}ので、{日本からの一行}は揃って{中国の都北京へ向かうことになりました。しばらくすると{【張有声】と【李在】}という北京の優れた二人の画家と親しく付き合うようになり、色々と教えられました。また、北京では礼部院に壁画を描いた

そして寧波(にんぼう)を出てから九州の博多へ戻って来たのは文明元年(1469年)49歳日本を立ってから足掛け3年の旅でした。

{周防の城下}に戻って来た{雪舟}は{殿様の大内政弘{【役目を無事に終了したことを報告しました}。

{京都}へ行きたいと願った{雪舟}であったが{応仁の乱}で都は荒れ果てていて諦め、中国への旅で仲が良くなった{桂菴(けいあん)禅師(豊後の国<大分県>の万寿寺)}を訪ねて九州への旅}をすることにした。そして豊後の国の殿様の大友親繁の許可を得て桂菴(けいあん)禅師雪舟のためにを小高い丘の上に作ってくれ、{雪舟}も{(てん)(かい)図画楼(とがろう)}と名付けてここが大変気に入り、その後10年間ほどここに住み付きました

その後{大友親繁が亡くなり、その子の{政親}の時になると戦が起こりたいへん騒がしくなって来たため、{周防の雲谷帰ろうと思うようになりました。弟子にした{秋月}を連れて{桂菴(けいあん)}に別れを惜しみながら{豊後を後にしました。文明10年(59歳)には益田七尾城主益田兼堯の招きにより石見の国吉田村島根県益田市を訪問し崇観寺医光寺の五代住職となり、「益田兼堯(かねたか)」;「山寺図」;「花鳥図屏風を描き萬福寺(すう)観寺(かんじ)(医光寺の両寺に山水庭を築いたそして京都を目指しました。{京都}に着くと、京都五山の優れた僧侶の一人で衣笠山の麓に住んでいる村菴(そんあん)}を訪ねました

それからしばらく{村菴(そんあん)}の庵で世話になった翌年には、{東への旅}を続け、{相国寺で仲の良かった万里集九に会うために美濃の国の正法寺(しょうぶじ)}を訪れました。それから駿河の国の清見寺(せいけんじ)}へ行きました、そこに半年以上滞在した後には鎌倉の建長寺}に向かいました。更に{相国寺にいた頃仲の良かった玉峰禅師がいる羽前(うぜん)(山形県にある(す)禅寺(ぜんじ)}までやって来ました。
 次には北陸道を西へ旅をして(大阪府堺市)}という町に着きました。そして再び周防の城下の雲谷へ戻って来ました。しかし若い殿様大内義興の不興を買ったため隣の石見の国吉田村島根県益田市を再訪し、{石見の国吉田村(島根県益田市)の東光寺大喜庵)}で86歳の生涯を終えました

現存する作品の内6点が国宝}に指定されており、日本の絵画史において別格の高い評価を受けていると云える。

山水長巻.jpg
雪舟 国宝「天橋立図」.jpg
雪舟山水図.jpg


★参考サイト⇒参考ブログ1では本からの言葉の一部をご紹介しています



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posted by 心野琴線 at 00:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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