2014年07月04日

横山大観

横山大観(1868〜1958):日本画家

2014年07月04日

横山大観.jpg

常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市出身近代日本画壇の巨匠であり、今日{朦朧体(もうろうたい)}と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。本名横山秀麿(よこやま ひでまろ)。

1868年(明治元年)、水戸藩士酒井捨彦の長男として生まれる。府立一中及び私立の東京英語学校の学齢時代から絵画に興味を抱き、洋画家渡辺文三郎に鉛筆画を学ぶ。1888年(明治21年)20歳、母方の縁戚である横山家の養子となる。東京美術学校を受験することに決めると、急遽結城正明、狩野芳崖等に教えを受ける(その期間は2〜3か月程度だったと云われる)。また、受験の際は受験者数300人中、 200人が鉛筆画での受験をし、しかも彼らは有名な師に何年も教わって来たと聞くや、試験の直前に鉛筆画から毛筆画への試験の変更を申請、見事に東京美術学校へと合格した。1889年(明治22年)21歳東京美術学校に第1期生として入学岡倉天心橋本雅邦らに学ぶ。同期生には菱田春草下村観山西郷孤月等がいる。
 美術学校卒業後、京都に移り仏画の研究を始め同時に京都市立美術工芸学校予備科教員となる。またこの頃より雅号大観を使い始めるようになる。1896年(明治29年)28歳同職を辞すと母校東京美術学校の助教授に就任した。しかし2年後30歳校長天心への排斥運動が起こり岡倉を師と仰ぐ大観はこれに従って助教授職を辞し、同年日本美術院創設に参加する
 美術院の活動の中で、大観は春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた{没線描法の絵画を次々に発表する。しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びた。現在ではその画風を的確に表す言葉とされる{朦朧体}という呼称も、当初は「勢いに欠ける曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された言葉であった。保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まりを見せ始めたため、大観は春草と共に海外に渡りカルカッタニューヨークボストンで相次いで展覧会を開き高い評価を得た。その後ヨーロッパに渡りロンドンベルリンパリでも展覧会を開きここでも高い評価を受ける。この欧米での高評価を受けて日本国内でもその画風が評価され始め、1907年(明治40年)39歳にはこの年より始まった文部省美術展覧会(文展の審査員を務め、1913年(大正2年)45歳には守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院の再興に至った
 以後、日本画壇の重鎮として確固たる地位を築き、1934年(昭和9年)66歳朝日文化賞受賞、1935年(昭和10年)67歳には帝国美術院会員となり、1937年(昭和12年)69歳にはこの年制定された第1回文化勲章の受章者となった。同年帝国芸術院会員
 戦後の1951年(昭和26年)83歳日本美術院会員を辞す。同年文化功労者。1958年(昭和33年)90歳東京都台東区にある自宅にて死去。永年に渡る日本美術発展への貢献により正三位に叙せられ勲一等旭日大綬章を贈られた。脳は、現在もアルコール漬けにされた状態で東京大学医学部に保管されている。


 

以下に、{横山大観の言葉をご紹介します。


 

初めから古画を写すと駄目だぞ、魂の抜けた絵が出来てしまうから、3〜4日遊ぶつもりでとにらめっこしよう



私には前途に{大きな希望}があり、心の中には{芸術に対する燃えるような熱情}があり、この2つのものの力に押されて、{【世の非難】も【生活の艱苦】をも堪え忍ぶことが出来ました}。



生活の安定の無い所}に{美術は無い}。



どこまでも自己の信ずるままに、絵画本来の約束に従って描くべきものです。



アメリカからロンドン、そしてフランス、ドイツ、イタリアと前後2年近くに渡る{欧米絵行脚}はそれからの私の生涯に{大きな教訓}となりました、{欧米の各美術館で名画の多くに接し得たこと}は、{後々の私の大きな精神的な糧となった}と信じています。



{空気とか光線とかの表現}に{空(から)刷毛}を使用して一つの味わいを出すことに成功しましたが、当時の鑑賞界にはこの{新奇な試み}は容れられず、{朦朧派なる罵倒嘲笑を受け、{画も売れなかった}。



しかしこれに屈せず、{世間のとかくの評判等は眼中に置かないで}、{自己の信ずる道を進んだのです}、それが今から考えると良かったと云えます。



私の家と菱田春草君の家の生活は極度に貧しく、その日その日のものにも事欠く始末で、あの魚の安い五浦にいて、その魚すら買うことが出来ませんでした、私と菱田君は餓死寸前まで来ていました。



長い人生の間には幾多苦難に見舞われることがありますが、そういう時にその苦難に負けては駄目なので、あくまで所信に邁進する}ことが大事なことだろうと思います。



人間は思わぬところで、{昔勉強したこと}が{役立ちます}から不思議なものです。



作家どこまでも創造して行くことが貴い}ので、{人の真似}はいけません、{自分の今日の作品}と{明日の作品}とは変わっていて良いのです、またその{変化の無い人は駄目です、{唯一つ【吾は日本人である】という【誇り】をどこまでも堅持してもらいたい}。



{【弟子】をこしらえる}ならば、{【世間の人間】を【弟子】にする}くらいの{気概}を持つべきだと思います



{絵描き}は{特に眼が大事です}、{眼も良いし、身体も良い、ですから仕事はいくらしても一向に疲れません}、ただ{仕事をしていると足が痛む(運動不足;座業のせい)ので、2時間も描くと1時間くらい寝ています}。

大観画像1.jpg横山大観 富士.png大観画像3.jpg大観画像4.jpg大観画像5.jpg横山大観 冬之夕.png大観画像2.jpg



 
★参考サイト⇒参考ブログ1では、本からの言葉の一部をご紹介しています。



参考サイト2:こちらです。

参考サイト3:こちらです。

参考サイト4:こちらです。

参考サイト5:こちらです。


 


posted by 心野琴線 at 00:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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