2014年08月30日

片岡鶴太郎

片岡鶴太郎(1954〜)本名:荻野繁雄;俳優・画家;絵を描く時のみ左利き

2014年08月30日

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10歳の時、動物の物真似でフジテレビの素人参加番組『しろうと寄席』にテレビ出演。その時のADが後に『笑っていいとも!』のプロデューサーとなる横澤彪だった。早くから芸人を志し、高校進学に際しては中学3年時の初めには成績が下から2、3番だったが、夏休みの1か月間で小学校6年生の教科書からやり直し上位10番に入り、東京都立竹台高等学校に入学。演劇部に所属し、3年次には部長を務めた

高校卒業後、俳優を目指し、清川虹子の自宅へ何のあてもないままいきなり訪問し弟子入りを志願したが清川には会えず、清川の付き人から「男の付き人は採らない」と断られ、最後には警察を呼ぶと言われ断念。粘れば弟子入りを許してもらえるだろうと思っていた目論見が崩れてしまった鶴太郎は、生活の為しばらく土木作業員等の仕事を経験した後、1973年19歳声帯模写の片岡鶴八に弟子入りし、声帯模写で東宝名人会や浅草松竹演芸場等の舞台に出演するようになる。
  師匠である片岡鶴八は、「声帯は人によって違うから、君に僕の芸はそのまま教えられない」と芸を教えてくれなかったが、そば屋に連れて行ってもらってそばの食べ方の手ほどきを受けたり、「芸人として売れるまで、そば屋では盛りそばしか食べてはいけない」等、芸人としてのを教えてもらったという。鶴八師匠は、盛りそばを食べる鶴太郎の目の前で江戸前の天丼を食べていたが、これは「君も早く売れる芸人になりなさい」という師匠なりの激励であった。鶴太郎は師匠の懐の深さを知り、「いつかは師匠と一緒に天丼を食べたい!」と決意するが、売れ出した頃に師匠は亡くなってしまい、その願いは叶うことがなかった。
  そんな売れていない頃、電話帳で見つけた女性宅へ郷ひろみの物まねでいたずら電話をし、「もしもし、僕、ひろみ」と女性へ本物の郷ひろみと思わせた頃、「ガハハ!騙された!」とファンを逆なでするようないたずらをよくやっていたという。
  1976年22歳頃大阪で隼ジュン(後の隼ブラザーズ)の元で修行、{岡鶴太郎(デビュー当初は「片」がない)}の芸名でトランポリンの地方興行を行う。このままで終わってしまうことに不安を感じ2年ほどで一座を脱退。知人の紹介で松山の道後温泉で劇団に所属して司会やものまねの仕事に就き修行を重ねる。温泉旅館での宿泊客の老人には持ち芸である小森のおばちゃまの真似はウケなかったが、鶴太郎の才能を理解してくれた座長の娘と半年後に上京結婚した。夫人との間には3人の子供を儲けている

24歳で実質的なテレビデビューとなるフジテレビ系『お笑い大集合』に出演、ここで後に、漫才ブームの仕掛け人の一人となった横澤彪と再会。{片岡鶴太郎の芸名でテレビに進出するが漫才ブームには乗れず。その後お笑いタレントとして『オレたちひょうきん族』で披露した近藤真彦のものまねにより一躍脚光を浴び、九官鳥の「キューちゃん」や浦辺粂子、たこ八郎等の真似で人気を博した。
  当時は小太りの体型で、熱いおでんを無理矢理食べさせられて大げさなリアクションを繰り出す等、被虐的なキャラクターだった。そのため、鶴太郎こそがいわゆる{リアクション芸人の元祖だとの声もある(上述の芸は、現在事務所の後輩であるダチョウ倶楽部の持ちネタとして有名である)。
  今でこそその芸風は払拭され全く見られないが、『オールナイトフジ』ではおまるの中にかりんとうを入れて示す等の下ネタを披露したり、同番組内の<鶴太郎劇団>という寸劇コーナーでは頻繁に女装して、男装した共演の女子大生と絡みのシーンを演じる、劇の最後のオチで全裸を女子大生に見せ付けるといった下品なキャラクターであった。{アブラギッシュな男No1}という不名誉な称号を得たのもこの頃である(井手らっきょは、鶴太郎の芸風に影響を受け全裸ネタを使うようになったと語っている)。
  また、オールナイトフジで萩原健一と『愚か者よ』を歌った際には、萩原にズボンを脱がされてパンツとワイシャツだけの姿になってしまった。
  お茶の間に定着して以降、物真似ではとりわけ老けキャラの開拓を得意とし(小森のおばちゃま・浦辺粂子・坂上二郎等多数)、後年にも、宮路社長や横山弁護士ら、話題の人物を好んで演じてみせた。
  持ち前の器用さからバラエティ番組の司会やトークも数多くこなし、1986年32歳には鶴太郎の造語プッツン」(喩えとして脳の血管や堪忍袋の緒、あるいは緊張の糸が切れて突飛な行動を取ること。またはその人物)が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれた

『笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと「キューちゃん」のマネを必ず行う。『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』に登場した九官鳥がモデルとなっている。
  1980年代に女性タレントとの浮気が報道された際、ビートたけしが「鶴太郎の野郎、この前カミさんがマンションに来てしょーがないから義理でやってたら隣の住人に『うるさいなー!毎日毎日!』と言われちゃった」と語り、当時の鶴太郎の人気のほどを伺わせた。
    1988年34歳には、「今までの自分が嫌になり、それを否定したかったという理由からプロボクサーテストを受験。当時ボクシングのプロテストの受験資格年齢は29歳までであったため、鶴太郎には本来受験資格がなかったが、日本ボクシングコミッション(JBC)に懸命に頼み込み、「合格しても試合には出場出来ない」という条件で特別に受験が叶い合格した。受験にあたって前年から減量を始め、それまでの<小太り>から急激にシャープな体型に変わった。
  プロテスト後は鬼塚勝也や畑山隆則のマネージャーとして、タイトルマッチではセコンドを務める等、両人の世界王座奪取に大きく貢献。後に芸能活動において鬼塚や畑山等の元プロボクサーが鶴太郎と同じ太田プロに所属する切っ掛けとなった。1988年34歳から1994年40歳に放送された『季節はずれの海岸物語』では主役の高村圭介を演じると同時に、鬼塚勝也との共演も果たした。1990年36歳にTBS『月曜ドラマスペシャル』で放送された『昭和のチャンプ〜たこ八郎物語〜』では、かつて『オレたちひょうきん族』で物まねをしたたこ八郎を、彼の前半生でのボクサーとしての視点を主体に演じている
  1988年34歳映画『異人たちとの夏』の監督・大林宣彦に江戸弁を気に入られ主人公の父親役に抜擢されると評判を呼び、多くの映画賞を受賞、活動の軸足を俳優に移す。そして1991年37歳NHK大河ドラマ『太平記』の北条高時役を演じたことで役者としての決定的評価を得ることになる。後年、大河ドラマでは『元禄繚乱』(1999年)で英一蝶役を演じた。『軍師官兵衛』(2014年)では小寺政職役を演じたが、『仁義なき戦い』における金子信雄のイメージというオファーがあったことから、芸人色の濃い演技となっている。
  1990年代には横溝正史原作一連の推理ドラマに、主人公の探偵・金田一耕助役で毎年出演(計9本)し、石坂浩二や古谷一行らと並んで金田一役の代表的俳優の一角を占めることになった。以降も『家栽の人』では植物を愛し人間の本質を見抜く暖かみのある桑田判事役を、『ララバイ刑事』ではどこか虚無的な雰囲気のある刑事を演じるなど、コンスタントに活躍を見せている。
  近年は2時間サスペンスドラマの主役として活躍する機会が多く、特にテレビ朝日系列の土曜ワイド劇場『終着駅シリーズ』での牛尾正直は当たり役の一つである。
  飲み友達である志村けんの著書によると、鶴太郎は酒の席で「自分は物まねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまさんにはかなわない、コントには志村さんがいる、だから俳優に行くしかない」と語ったとされている。俳優への転身は自身の評価にも繋がっており、映画『男はつらいよ』の二代目寅さん役最有力候補とされていたこともある(渥美清の死去後すぐ報道された)。

タモリに影響を受け、挿絵を描くことを始める。コメディアンとしての仕事から距離を置くにつれ、1989年35歳ドラマ『志功の青春記 おらあゴッホだ』で若き頃の棟方志功を演じたことをきっかけに、水墨画を描くことや陶芸等美術方面へ傾倒して行く。岡本太郎とバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で共演したことから知り合い、岡本太郎によってその才能を評価され自信を持ったとされる
  群馬県吾妻郡草津町、福島県福島市に{美術館}、石川県加賀市、佐賀県伊万里市に{工藝館}がある。
  右利きだが絵は左手で描いている
  2003年49歳奈良県當麻寺中之坊に天井画を揮毫し奉納。2004年50歳秋より、文化勲章受章者や日本芸術院会員ら一流画家の作品にまじって、写仏道場の格天井に飾られている。作品名は『天井より海を眺め』
  2007年53歳には、絵画の視点で書道にも挑戦し、第24回産経国際書展に応募作品「骨」が話題を呼び、総数7575点の中から産経新聞社賞を受賞した
  また、女優でアイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーだった田中好子に絵画を教えていた。



以下に、{片岡鶴太郎氏の言葉をご紹介します。


ご縁}とは、{人間の力の及ばない何かによって、既に用意されているものかもしれない}、そうであるならば{【ご縁】に身を委ね、【ご縁】を大切にしたいと思っている}。



腹の主(魂の声)}に逆らわず



{【決断を迫られるような大事な場面】や【人生の分岐点】}に立った時、{僕には必ず【腹の主】の大きな声が聞こえる}。



{僕にとって【絵を描く】ということ}は、{人間としての根っこのところから出て来る【表現をしたい】という【想い】なのである}。



{絵を描く}行為を通して、{【魂が求めているもの】に応える作業}をしているのである、{【自分の魂】を表現したい}のだから{【目の前にあるもの】を【目が見た通りに描く訳ではない】}。



{自分の心の中に浮かんで来る色合い(音色;ポエジー)}を描こうとするのである。



僕の食事の量はいつも{腹七分目}、{腹七分目}の状態で{感性を研ぎ澄まして置きたい、そうしなければ{受信機}が{誤作動}するような気がするのだ。



絵}と{書}は全く{対等}にあるもので、{絵}と{書}は{ハーモニー}を奏でている。



{僕の心から湧き出て来る【音色】が変わる}と、{【絵】は自然に変わって来る}。



真似る}ことは、{【学ぶ】ことの第一歩}だ。



}は{どんなところでも生きられる知恵を持っている}、並外れた{【順応性】と【柔軟性】}を持っている、ところが一旦{まな板の上に載せられる}と{あれだけピチピチと動く魚なのに、目を塞いでピタッと動きを止める、その【潔さ】にただただ敬服するばかりだ}。



鯉】の{【貪欲に生きる姿】と【潔さ】}、{その【魂の素晴らしさ】はもう【人間の比ではない】}。



鯉}のようになりたい、{鯉}のように生きられたいいなあと思っている



稲(いね)}は、{【命の元の根】、【いのちのね】}が{【いね】の語源}なのだそうだ



何の迷いも無く、何の矛盾も感じず、【事に仕えている眼】}、{【事に仕える】とは【こういう姿勢】であるべきなのだ}。



常に【感覚】を研ぎ澄ましている}から、{【未知なもの】に【敏感】で、違和感無く臆すること無くそれに向かうことが出来る}。



食べもの}というのは、{【その土地の文化や生活の匂い】が現れるもの}だと思う。



出会い}は{神様(大いなるもの)からのプレゼント}だと思っている。



{【やりたい】と【想う】}ことが{引き寄せる力}になり、{確実に【念】が通じて【必要な<人やもの>に会わせてくれる】}。



{悪い出会い}も{自分を豊かにするチャンス}であり、{人生の面白さ}というものだろう。



{【今】という時}を{大切にしたい}!




{【年齢】と【気持ちの向き方】}によって、{【入って来るもの】が違って来る}。



{【ピカソの晩年の顔】が好い}、{自分の心に正直で嘘偽りの無い【顔】}だ。



竹に雀.jpg竹ニ椿.jpgやんま.jpg

伊勢海老.jpg遊魚.jpg
渡りがに.jpgさんま.jpg

すいか.jpg土佐鰹.jpg
夜桜.jpgゴリラ.jpg






★参考サイト⇒参考ブログ1では、本からの言葉の一部をご紹介しています。



参考サイト2:こちらです。

参考サイト3:こちらです。

参考サイト4:こちらです。

参考サイト5:こちらです。






posted by 心野琴線 at 00:00| Comment(0) | 神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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